室町仏光寺の日吉神社から仏光寺通を西に歩くと、片隅に「菅家邸址」という小さな石碑が建っている。その石碑の奥に見える小さな社が、紅梅殿(北菅大臣神社)である。

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ここは菅原道真の父・是善を祀っる神社なのだが、この辺り一帯が、菅原家の屋敷があった所なのである。

道真公が福岡の大宰府へ左遷されるに当たり

『東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 主なくとて 春なわすれそ』

と詠んだのはこの地であったと云われている。

この小さな社もまた、道真公の怨念を鎮めるために造られたのであろうか。歴史のロマンを感じさせる、小さな社である。

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道真が福岡の大宰府で非業の死を遂げると、その祟りで京の都に異変が起り、その御霊を鎮めるために、道真にまつわる神社が建てられたという。

色々な場所に霊鎮めの社が建つのだが、この紅梅殿も道真亡きあとに創建されたものである。

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南にある菅大臣社を白梅殿と呼ぶのに対し、この社は紅梅殿と呼ばれ社地も大きかったのだが、

応仁の乱にて焼かれ、その後、慶長19年(1614)に菅家と縁のある、

曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみやりょうじゅほうしんのう)によって再興されたものであり、

その時に北と南とに分かれてしまい、道真の父を祀る紅梅殿は、現在のような路地の奥にひっそりと佇む姿となったのである。