日月門をくぐり、鐘楼堂の北側に建つのが「観音堂」である。

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この建物は、大講堂と呼ばれていた堂宇で、駒札によれば、

『此の大講堂を中心にひろがる、大林泉及弁天堂、鐘楼、地蔵堂、日月門、阿闍梨寮伝法学院を総称して大伝法院といいます。

林泉は昭和5年、醍醐天皇一千年御忌を記念して、山口玄洞居士が建造物と共に造築、寄進されたものであります。』とある。

                    出典:【大講堂の駒札】より

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なぜ大講堂から観音堂と呼ばれるようになったかというと、

上醍醐にあった「准胝堂」が平成20年(2008)8月24日に、落雷によって炎上し、その時に本尊も焼失してしまうのだが、

その分身は別にあって難を逃れ、女人堂、金堂を経て大講堂に安置されることとなり、

醍醐寺創建以来、上醍醐にあった西国札所(西国三十三所観音霊場第十一番札所)が、下醍醐の第講堂に移ることとなり、

そのことで大講堂が観音堂と名を改められ、それまで上醍醐まで山道を登って受けていた納経朱印が、

下醍醐の観音堂で受けることが出来るようになり、西国札所の難所であった所が幾分か参拝しやすくなったのである。