| 西大門をくぐり、その先の参道を歩いてゆくと、目の前が急に開け、そこにあったのが醍醐寺の本堂とも言われる「金堂」である。 |
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| 金堂は、醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建され、当時は釈迦堂と呼ばれていたのだが、 | |
| 鎌倉末期の永仁年間に一度、その後、再建されるも応仁の乱にて再び焼失するのである。 |
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| 現在の金堂は、豊臣秀吉が醍醐の花見に合わせ、紀伊湯浅の満願寺から移したものだという。 | |
| 正面7間(柱の間が7つ)、側面(奥行)5間で、一重、入母屋、本瓦葺の建物で、鎌倉初期の建築だという。 |
| 金堂内に安置される仏像も、このお堂とともに移され、本尊の薬師如来座像と両脇侍像は、写実的な寄木造で、表面に截金(きりかね)文様が施してある。 |
| その横にある四天王立像四駆とともに、鎌倉時代の作と伝わる。 |
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