長建寺の敷地内には、三十石船や中書島の遊郭に時を知らせたという、鐘楼が残されている。

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長建寺を起点として、西は竹田街道、北は宝来橋、南は京阪中書島に囲まれた、南新地、東西の柳町が、その昔の遊郭であり、

その遊郭に時を知らせると共に、宇治川を行き来する三十石船にも、その鐘の音により、時が分かったという。

鐘楼の説明板によれば、

『三十石船に時を知らせた

この鐘楼は標準より大きく、又立派な建物です。従って鐘も立派なもので、江戸時代は往来する人々に時を知らせていました。

しかし太平洋戦争に、軍に供出され、大砲の一部となりました。建物だけは保存するべく「みくじ舎」としました。』

                   出典:【鐘楼の説明板】より

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またこの長建寺には、いまでは何処にでもある、お御籤発祥の寺であり、鐘は供出されてなくなった鐘楼の後を、お御籤の元祖として残そうと、「おみくじ舎」として、今に伝えられている。

説明板によれば、

元禄12年(1699)、伏見奉行建部内匠頭政宇(たつべたくみのかみまさのき)が、中書島を開拓するに当たり、

『近ごろ喫茶店でも、週刊誌でも、コンピューターでも、寺社に限らずあらゆるところで、おみくじがみられます。

さて、おみくじはいつごろ誰が創り出したのでしょうか。

おみくじの元祖は近江に生れ、比叡山延暦寺第十八世天台座主になった、良源大僧正(912~985平安中期)が、今から1,000年前に考え出したものなのです。

彼は比叡山の教義を確立し、学問を高め、法力、霊力の持主として庶民を助け、近江や京都のみならず全国の人々から尊敬されました。

彼の門下生は三千人と言われておりましたが、この中から我国浄土教の祖と言われる名僧源信(恵心僧都)も傑出しました。

良源大僧正は正月の三日に亡くなられたので、通称元三大師(正しくは慈恵大師)と親しみをこめて呼ばれています。

当山の、おみくじも元三大師の元本そのまゝを使っておりましたが今は、その元本は保存され現代流に和歌にアレンジしたものを使っております。

この様な国文学的に由緒正しいものを使っているのは、全国でも当山のみです。

どうか皆様も元三大師にお参りして、大師と貴方が一対となって問答しながら「願」をかけて下さい。

この、おみくじは、きっと大師の心が通じていることと思います。』

                 出典:【おみくじの元祖とはの説明板】より