宇治川の堤を歩いている時に、その先に見えたのが、近鉄京都線の宇治川に架かる鉄橋であった。 |
この鉄橋は、奈良電気鉄道が宇治川を越えるために架設したもので、その形式はトラス橋 |
(三角形の部材をつなぎ合わせて造られたもので、二つの橋脚で支える「単純トラス橋」と、幾つかの橋脚で支える「連続トラス橋」がある) |
近鉄澱川橋梁は、単純トラス橋であり、この頃の日本の鉄鋼は三流で、とても実用には適さなかったのだが、 |
八幡製鉄所などの努力もあったのだが、米国製のものを1800トンを使い、長さ164.5m、高さ24.4mのワンスパンのトラス橋としては、 |
今でも日本最大の鉄橋であり、その鉄橋を時を経て、京都と奈良の間を客を乗せて走っているのである。 |
何故当時そんなに名も知られていない鉄道会社に、こんな最先端の鉄橋が架けられたのかというと、 |
宇治川にある伏見には、帝国陸軍16師団があり、その傘下の工兵大隊が宇治川一帯を訓練場として使っていて、 |
宇治川に橋脚の多い鉄橋を架けると、訓練に支障をきたすとのことから、川中に橋脚のない鉄橋を架けたのだという。 |
現、近鉄澱川橋梁は、昭和3年(1928)に、宇治川に架けられた鉄の橋である。 |
設計は、関場茂樹、製作は川崎造船所である。昭和3年に、京都御所での昭和天皇の即位式典に合わせ、1年余りでの建設となった。 |
先に述べたように、橋脚を対岸に設け、そのスパンをトラス構造で強度をもたしたという設計は、 |
その当時の日本では考えられない高い技術が、今その鉄橋を電車が走っているのである。 |
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