南禅寺の塔頭で、もうひとつ紹介すると、南禅寺法堂の南に位置する、南禅寺別院の「南禅院」がある。

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疏水公園から疏水の小路(この小路は、疏水分線として後述する)を通ってくると水路閣の手前、南禅寺からだと水路閣をくぐった所に、南禅寺発祥の地とされる南禅院がある。

南禅院は、亀山天皇の離宮であった禅林寺殿の上の御所に造られた持仏堂であり、現存する南禅院はその後身である。

南禅院の方丈は、夢想国師の作とされる池泉回遊式庭園があり、京都で唯一、鎌倉時代のもであるらしい。

水路閣のアーチ越に垣間見える建物が、水路閣のレンガ造りとの景観に溶け込んでいて、

秋の紅葉の頃には又、その彩りが風情を醸しだすのであろうと思いつつ眺めていた。

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南禅院のこの地には、かつて亀山上皇の離宮「禅琳禅寺」があった所で、南禅寺発祥の地とされる。

南禅寺は度々の災禍で、塔頭子院ともどもに焼け落ちてしまい、応仁の乱後には荒廃するのだが、

南禅院は元禄16年(1703)に徳川5代将軍綱吉の母、桂昌院によって再建されるのである。