南禅寺の塔頭を少し紹介してみよう。疏水の水路閣をくぐり、アーチに沿って東に歩くと、南禅寺で最も東にあるのが「最勝院」である。

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参道に建つ説明板によれば、

『此処より奥駒ヶ滝最勝院一帯の山峡は古く鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、最勝院駒道智大僧正の霊地として広く世間に知られています。

駒道智大僧正は、今を距る七百数十年前摂政関白九条道家の子に生れ、幼なくして比叡山に登り仏道修行の道に入られ、天台密教の深奥を極めた人であります。

後三井寺の長更(管長)となり、更に当時天台密教の寺であった禅林寺の住持に移られました。

晩年世をいといこの駒ヶ滝最勝院の地に穏棲されましたが、

文永3年3月3日ついに秘密の法力により白馬にまたがり生身を天空にかくされたと伝えられています。

それ以来滝を駒ヶ滝(これより奥約200米)僧正を駒大僧正といい、又院号をとって僧正をまつる寺を最勝院と呼ぶことになりました。

鎌倉時代末文永年間亀山天皇が此の下に離宮を建てられると僧正を土地の鎮守として篤くまつられ、

更に離宮を革めて禅寺を創建して南禅寺の基を開かれると、僧正は護法神としてまつられました。

爾来七百年南禅寺一山の崇敬はもとより、広く京都の人々の信仰の一中心となり、古来勝運の神として参詣者が跡を絶ちません。

当寺は即ち駒大僧正をまつった本堂であり、駒ヶ滝はその奥の院であります。

明治の末年迄はこの下の南禅寺寺務所の地にあり最勝院般若殿と呼ばれていましたが、大正六年夢想国師の塔所上生院の故地である現在の地に移転したのであります。』

                    出典:【最勝院の由来】より

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8年前にもここを訪ねているのだが、何故かこの先の門をくぐって、最勝院の中に入っていない。

特に拝観不可でもなく境内は自由に参拝出来るのだが、何故この先まで行かなかったのか・・・

そしてまた今回も、その先まで歩くことはしなかった。何故と云われても特に理由はなく、何かに魅せられたように、ここから引き返すのである。前回と同様に・・・