南禅寺の三門にたどり着いた。かの石川五右衛門がその楼閣に登り京の町を眺めて、絶景かな、絶景かなと言ったとか言わないとか・・・という南禅寺の三門である。

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三門は、寛永5年(1628)に藤堂高虎が建てた禅宗式大楼門で、また天下竜門ともいう。駒札には、

『この三門は、伊勢伊賀の領主藤堂高虎公が大坂夏の陣で戦没した藩士の霊を弔うため寛永5年(1628)に建立寄進されたものである。

楼上には宝冠釈迦如来座像を本尊として、その脇には、月蓋長者、善財童子、左右に十六羅漢を配置、

本光国師、徳川家康公、藤堂高虎公の木像を中心として一門の重臣の位牌、戦没藩士の位牌等が安置されており毎年法要が行われている。』

                 出典:【南禅寺「三門」の由来の駒札】より

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三門とは、空門、無相門、無願門の三解脱を表すとされる

また一方では、貪(どん)、瞋(しん)、痴(ち)の三煩を解脱する境界の門・・・

貪とは、むさぼり(欲)・瞋とは、いかり(怒)・痴とはおろか(愚)を表す三つの煩悩である。

また一方では、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)の三乗が通る門・・・

声聞とは、仏の教えを学び阿羅漢果を得る仏弟子/縁覚とは、十二因縁を観じて涅槃を悟る聖者/菩薩とは、大慈悲を持って衆生を救い妙覚のはてに近づいた人とある。菩薩>縁覚>声聞の順であるらしい。

日本の三大門は、京都の知恩院、ここ南禅寺、そして山梨の久遠寺とあり、これも他説では、奈良の東大寺、奈良の法隆寺、日光の東照宮ともいわれている。

また、もう一つ、京都の知恩院、南禅寺、東本願寺の観影堂の門とあり、やはり地元びいきでこの説を押してみたい。

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南禅寺の三門に石川五右衛門が登ったというのは、後世の創りごとで五右衛門が釜ゆでになった後に建てられてたもので、五右衛門は登ることは出来なかったのである。

石川五右衛門というと「濱の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」との辞世の句を残して釜ゆでになった。

この釜ゆでから鉄でできた風呂桶を五右衛門風呂という。

この風呂は風呂に浮かんでいる踏み板を足で沈めてその上に乗って入るのである。

その板に乗らないと直接、鉄の釜に触れて熱くて入れない。

この板を沈めるのが一苦労で、うまく踏み込むことが出来ず浮いてきてしまうのである。

小さい頃、この五右衛門風呂が親戚の家にあって、この板を沈めるのに苦労をして入ったことを思い出していた。

南禅寺の三門と石川五右衛門と五右衛門風呂とつながって小さい頃のことを思い出して、この門を眺めていた。