仏光寺本廟のなかには「三条小鍛冶宗近之古跡」の石碑が建つ。 |
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三条小鍛冶とは、平安時代の刀工である三条宗近が、刀剣を鋳造するときに用いた井戸水が仏光寺にあったと云われ、ここにその石碑が建っている。 |
駒札によれば、 |
『宗近は平安中期の刀匠で姓は橘、信濃守粟田藤四郎と号し、東山粟田口三条坊に住したので三条小鍛冶と称した。 |
名刀子狐丸をはじめ幾多の刀剣を造ったが、現存するものとして三日月宗近などがある。 |
祇園祭の長刀鉾の鉾頭の長刀は、宗近が娘の疫痢治癒を感謝して鍛造し祇園社に奉納したものといわれ、特に有名である。 |
拾遺都名所図会によると、佛光寺本廟境内に刀剣を鋳るときに用いた井水があったといわれる。(都名所図会では知恩院山門の傍とある) |
なお、粟田口鍛冶町にある粟田神社境内に鍛冶社がり、また神狐の合槌によって名刀を鍛えたと伝えられる合槌稲荷社が粟田口中ノ町にある。』 |
出典:【三条小鍛冶の古跡の駒札】より |
とあり、昨日の雨の中、祇園祭の巡行が行われたなかで、長刀鉾が注連縄を切るときに刀を使って切ったのだが、 |
宗近もまた娘の病気平癒を願い、刀を奉納しているのである。 |
今年は、長刀鉾の稚児さんの背が高く、長刀をもって注連縄を切ったという。これにより山鉾の巡行が始るのである。 |
話を元に戻すが、宗近が朝廷から刀を鍛えよとの命に、納得のいくものが出来ず迷っているときに、 |
氏神の稲荷神社の狐が童子に化けて相方を務め、無事奉納したものが「小狐丸」という名刀である。 |
小鍛冶宗近の刀は、人を斬ることではなく、刀のもつ美しさを際立たせるもので、決して人を斬るだけという妖刀ではなかったのである。 |
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