良恩寺から旧東海道を東に「仏光寺(本廟)」がある。 |
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仏光寺と聞いて、随分昔に、下京区高倉通仏光寺下ル新開町にある、同じ真宗仏光寺派で |
ここも確か「仏光寺」であったことを思い出したのだが、こちらは「本山 仏光寺」となっていた。 |
建暦2年(1212)に親鸞聖人によって開基された、浄土真宗のお寺である。 |
東西は高倉通と東洞院通、南北は高辻通と仏光寺通に挟まれた一角にあり、境内には左に阿弥陀堂、右に大師堂と二つの大きな建物が建っている。 |
今でこそ、浄土真宗といえば本願寺の名が浮かぶのだが、その昔はこの仏光寺が本願寺を上回る勢力を持っていたらしいのだが、 |
度重なる戦乱による堂塔伽藍の焼失などにより、今ではこの場所でひっそりと佇まいしている。 |
京の町を東西に走る仏光寺通は、この寺があることから名付けられた通りなのである。 |
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一方、ここ東山区粟田口鍛冶町にあるのは「仏光寺 本廟」である。 |
ここは親鸞聖人の御遺骨を納めた本廟があり、江戸時代の元禄年間(1688~1703)に、下京区の「本山 仏光寺」から廟堂を移し、別院としたのが始まりとされている。 |
明治の中頃に建てられた唐門を入ると、親鸞聖人の御遺骨を納める御廟がある。 |
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駒札には、 |
『親鸞聖人の御真骨をご安置するお堂で、御真骨は足利尊氏寄進の舎利容器に納められ地下に埋葬されている。 |
願い出により、一般門末の分骨も堂内地価に納めている。』 |
出典:【御廟(おたまや)の駒札】より |
仏光寺は真宗仏光寺派の本山で、一時は本願寺を凌ぐ勢いがあったのだが、応仁の乱により堂塔伽藍が灰燼に帰し、 |
その頃、本願寺中興の祖蓮如が本願寺を急速に建て直し、ついに文明13年(1481)に仏光寺の第14世となるべき経豪が、 |
蓮如上人に帰依をし、48坊のうち42坊の末寺と共に、本願寺へと鞍替えをしてしまうのである。 |
これを契機に仏光寺の寺勢は急速に衰えることになるのである。 |
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