御廟の一段下には、法然上人終焉の大谷庵室の跡に建てられた「勢至堂」がある。

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説明板によれば、

『元祖法然上人終焉の地、大谷浄室の旧扯で、本地堂知恩教院とも呼ぶ。

桁行21メートル、梁行20メートルの、七間四面単層入母屋造本瓦葺、享禄3年(1530)の再建になり現在の知恩院では最古の建築物で、明治32年国宝建造物に指定された。

外陣正面に掲げられている勅願「知恩教院」は後奈良天皇の親翰である。』

                   参照:【勢至堂の説明板】より

とあり、この地は法然上人が亡くなるまで念仏を唱えた大谷禅房があった所で、知恩院発祥の地でもある。

室町時代後期の享禄3年(1530)に建てられ、本堂として法然上人の尊像(御影)が祀られたが、

後に御影堂が建てられ尊像が移された為に、勢至菩薩像を本尊として祀ったことから「勢至堂(せいしどう)」と呼ばれるようになった。