宝佛殿の横を通って坂道を登ると、そこにはNHKの年末の番組である「行く年来る年」で映し出される知恩院の「大鐘楼」がある。

またそこを降りて、奥の院へと向かう所にあるのが「経蔵」である。


大鐘楼
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大晦日になると、必ずといっていい程に出てくるのが、この知恩院の大鐘楼である。

この鐘が撞かれるのは、法然上人の御忌大会と大晦日の除夜の鐘のときだけに撞かれるのである。

この大鐘は、寛永13年(1636)に、知恩院第32世雄誉霊巌上人のときに鋳造され、

鐘楼は延宝6年(1678)に、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたもので、国内最大級の大鐘を支えるにふさわしい建物となっている。

駒札によれば、

『この大鐘は寛永13年(1636)に鋳造されたもので、日本三大名鐘の一といわれ、

高さ1丈8寸(約3.3メートル)、口径9尺2寸(約2.8メートル)、厚さ9寸5分(約30センチ)、重さ1万8千貫(約70トン)あり、鐘楼と併せ国の重要文化財に指定されている。

除夜の鐘には一山僧侶17名により鐘がつかれ、数万人の参詣者で賑う。』

                   出典:【大鐘楼の駒札】より


経蔵
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経蔵は御影堂の南東に建ち、徳川秀忠により三門と共に建てられたものである。

秀忠によって納められた宋版大蔵(一切)経約六千帖を安置する八角輪蔵があり、その輪蔵を一回転させると、大蔵経を読誦するのと同じ功徳を積むという。

駒札には、

『経蔵は江戸時代初期の元和7年(1621)頃に二代将軍徳川秀忠公により、三門と共に建てられた。

内部は中央に宋版一切経五千九百余帖が収められた輪蔵が据えられる。

輪蔵は中心を軸に腰部分に安置された八天部像の指し示す方向に一周させると、

中に納められた経典を読誦したのと同等の御利益が得られるとされており、正面には考案者である中国南北朝時代斉の傅大士とその二子の像が奉安されている。

平成6年から12年まで行われた修理により壁画や天井画の菩薩や飛天、鳳凰、楽器などは建立当初のまま保存し復原された。』

                  出典:【重要文化財 経蔵の駒札】より