知恩院は、華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)と号する、浄土宗の寺院である。 |
法然上人が、承安5年(1175)に悟りを得て浄土宗を開き、その時ここに庵を結んで布教を始めたのが「知恩院」の始まりとされる。 |
その教えは「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」 |
(月の光が届かない里はないのだが、月の光はそれを眺める人の心のなかに住んでいる) |
と、「専修念仏」に徹し、何者でも一心に「南無阿弥陀仏」を唱えれば、極楽往生出来るという教えであり、 |
当時は苦しい修行を積み重ねた者だけが、極楽往生出来るとされており、法然の教えは旧宗派によって激しく非難され迫害を受けたのである。 |
そして、後鳥羽上皇に仕える松虫と鈴虫の姉妹が、後鳥羽上皇の留守に落飾し出家をしてしまうのである。 |
このことにより法然の弟子、住蓮と安楽は唆したと罪を問われ処刑となり、法然もまた讃岐に流されるのである。 |
この時に、後に浄土真宗の開祖となる弟子の親鸞も越後に流されている。 |
4年後に赦され京に戻るのだが、翌年の建暦2年(1212)、80才で入寂をする。 |
法然が住んだ庵は、現在の知恩院勢至堂の辺りにあったという。 |
ここでの活動は浄土宗を開いた43才から80才で入寂するまで行われた。 |
法然上人が没したのち、文暦元年(1234)に弟子の源智上人が堂宇を整え、寺号も「華頂山知恩教院大谷寺」とした。 |
現在の知恩院の形が出来たのは江戸時代に入り、徳川家康が再建を進め、3代将軍家光の時代に今の形になったという。 |
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