知恩院三門の前、女坂へと向かう所に建っているのが「仏教大学建学之地」の石碑。

 クリックで大きくなります
仏教大学は、北区紫野北花ノ坊街(千本北大路の北側)にあるのだが、

その前身は、明治元年(1868)に、仏教探求の機関として知恩院の山内に設けられた「勧学所」が始めである。

その後、名称と場所を変えて、、昭和9年(1934)に現在の千本北大路に移り、

戦後の学制改革により、昭和24年(1949)に、新制、仏教大学を設立し現在に至っている。

仏教大学創建の地として、ここ知恩院三門の前に「仏教大学建学之地」の碑が建てられている。

 クリックで大きくなります
その石碑の裏面に由来が記されていて、

『佛教大学の建学は明治元年三月、知恩院第七十三世名誉学天大僧正の勧学の達諭(かんがくのたつゆ:学問の道う勧める教え)を体せる学侶(がくりょ:教えを学ぶ仲間)に依り、

華麓源光院に開筵(かいえん:会合を開く)せる勧学場を以て淵源(えんげん:みなもと)とす。

爾来一宗並に国家の学制の、更改に応じ黌名及び所在の変遷を重ぬ。

其の間専門普通の二部に分ち、専門部は東山鹿渓に移り、程無く宗教大学京都分校と称し、普通部は南禅寺畔に転ず。現東山学園是なり。

而して明治四十五年五月、京都分校は東都の本校より独立し佛教専門学校を開学す。

尋(たずね)て昭和八年秋洛北鷹陵に遷り、同二十四年四月佛教大学と成る。

粤(ここ)に建学巳来方二百十一周年、学是不易(ふえき:変わらないこと)にして興学育英の基礎盤石たり。

人文諸科学の学府として学生弐万四千余、同窓校友五万弐千有余に達し学風四海ニ潮湧す。

夫れ本学の使命は善導法然に師の浄教の本義を宣揚するにあり。

正に善導大師壱千三百祥歳に当り、建学の故地を尋ね顕彰せんとす。庶幾ばくは学統永世に赫奕(かくえき:光輝くさま)たれ。』

    出典:【石碑裏面「由来の記」より(原文カタカナを平仮名に)】より