いよいよ三門から知恩院の境内に向かうことにしたのだが、三門は今工事中であり、三門を通って知恩院の中に行くことは出来なかった。

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三門を入り急勾配の階段を登り、御影堂へと向かう道を「男坂」といい、三門を通らずその横のなだらかな坂から向かう道を「女坂」と言う。

今回は、この「女坂」から知恩院の中に入る。

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知恩院の三門は五間三戸(正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっている)の楼門で、

元和7年(1621)に、徳川2代将軍・秀忠の命により建立されたもので、日本の三門のながで最も大きく、

入母屋造本瓦葺の高さ24m、幅50m、屋根の瓦は7万枚といい、門に掛かる「華頂山」の扁額は畳2畳の大きさがある。

南禅寺の三門と東本願寺の御影堂門と、知恩院の三門とを「京の三大門」といい、その見事さは他とは比べ物にならない。

「遊歩人の路地裏歩き」のホームページへ
『京の三大門とは』

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知恩院のこの門を「三門」と呼ぶ。

普通は、その寺号に山が付く(知恩院は華頂山)ことから「山門」と呼ばれることが多いのだが、知恩院のように「三門」と呼ばれる寺院がある。

これは「空門」「無相門」「無作門」と、悟りを得るための境地を表わす三つの解脱の門を表わし、この門をくぐり今生の救いを求め、解脱の世界へと入り込んでゆくのである。

「空門」とは、総てを空と悟り、あるがまま、なすがままと、総てを受入れる寛容な心である。

「無相」とは、総ての事象は空で(無相の反対は有相で、一休禅師の「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と詠んだのも無相である)世の中への執着を離れた心である。

「無作」とは、欲望に流されず、あるがままに、なるがままに受け止める心である。