前田正名の記念碑と同じ所にあったのが(こちらの方が先に目に入ったのだが)「京都解放運動戦士の碑」の碑である。

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そばに建つ駒札によれば、

『日本人310万人、アジア人2千万人が殺された第二次世界大戦、その多大な惨禍と犠牲を払って、私たちは、主権在民と平和主義を基調とする日本国憲法と自由を獲得しました。

それまでは平和や主権在民を唱えることも、また、働くものが生活と権利を守るため自ら団結することも、治安維持を名目に、犯罪として厳しく取り締まられ、過酷に弾圧されました。

このなかにあって、平和と自由を求め、民主的日本の建設を願い、万人の幸福な社会の実現を志して、

進歩的・革新的社会運動に身を投じ、逮捕・投獄され、獄死・虐殺、また、不幸にして病死された、少なくない先覚者たちがいました。

このようにわが国の平和・民主的運動に尽くされ、逝去された京都にゆかりのある有名・無名の解放運動戦士の方々を合祀しその偉業を顕彰するため、

京都旧友クラブ、日本国民救援会京都府本部の呼びかけた建碑運動によって、1958年3月15日、京都解放運動戦士の碑はここに建立されました。

この碑は、京都大学名誉教授・西山夘三氏の設計で、赤旗が棺を覆った形を表しています。

正面レンガ壁に嵌められた碑文は学校法人立命館名誉総長・末川博氏の揮毫によるもので、地下には、合祀者の銘碑が納められています。

敷地は総本山知恩院のご好意により、永代無償で借用させていただいています。

また1993年4月に、傷んだ部分の補修にあたり、寄せられた労働組合や民主団体をはじめ、ご遺族や心ある方々の浄財によって、屋根部分に赤御影石を、基壇部分に白御影石を配するなど全面的な改修がされました。

先人の幾多の辛苦と献身の「いしずえ」の上に、今の私たちの社会があり、進歩と革新の社会運動があることに永遠の感謝を捧げ、

その遺業を継承・発展させる決意の場として、毎年5月の第2日曜日には、新たに解放運動戦士を合祀する追悼祭を盛大に挙行しています。』

                    出典:【碑の由来の駒札】より

とあるのだが、あまり政治や思想的なものには関わりたくはないのだが、今まさに戦争を知らない子供達が、日本を動かそうとしている。

昭和57年(1982)に小学館から出版された「日本国憲法」という本があるのだが、この時も何か、日本国憲法が話題になっていたのだが・・・

日本国憲法第二章 戦争の放棄 第九条によれば、

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

とあり、集団的自衛権が違憲だ、違憲でないとかいう前に、自衛隊は名こそ違えれっきとした軍隊であり、自衛隊そのものが違憲だと自分的には思っている。

憲法解釈がどうのこうのと言う前に、憲法を改正し、まず自衛隊が違憲でないようにしてから話を先に進めるべきであろうと思うのだが・・・

また、こんな碑を建てなくてもいいように、治安維持法なる自由な言論を封じ込める悪法などが作られることのない政治が行われるべきであり、

マルクス論でも自由に話すことが出来、軍国主義を謳歌しても、なんでも物が言える世の中こそが、自由主義だと思うのである。

自分は、共産主義も軍国主義もどちらも嫌いであり自由にへらへらと生きて行きたい方なのである。言い過ぎてしまったが、こんな碑を見たばかりに、こんなブログになってしまったのだが・・・