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四条先斗町の入口をすぎると、その先には、こんな景色が見える。四条大橋の西詰めに「東華菜館」があり、市場大橋を渡ると、「南座」がるというシチュエーションに出会うこととなる。 |
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四条大橋の西詰めにあるのが「東華菜館」。 |
建物は学校や教会など日本において数多くの西洋建築を手掛けた、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計になるものである。 |
東華菜館の前身は、大正の末に矢尾政の二代目が洋食レストランを開こうと、ヴオーリズに設計を依頼し、大正15年に開業をする。 |
ヴオーリズの設計になる商業施設は少なく、シンプルななかにも数々の装飾が散りばめられ、大正モダニズムの雰囲気が残された建物となっている。 |
矢尾政のレストランはその後、四川料理の于永善氏に譲られ、戦後「東華菜館」として今に至っている。 |
中華料理だが、自分などの思う中華料理の値段ではなく、とても中に入ることは出来ない。 |
従って、昭和9年(1924)に輸入されたオーティス製の、日本最古のエレベータがあるのだが、それを見ることはいまだに出来ないでいる。 |
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四条通の鴨川に架かるのが、四条大橋である。 |
橋の架橋は古く、平安時代の永冶2年(1142)に、八坂神社の参道として架けられたものだという。 |
その後、度々の水害で流失しては、架け直されている。 |
近代的な橋は、大正2年(1913)に、京都市電の開通とともに電車を通すために、鉄筋コンクリートのアーチ橋が架けられた。 |
しかし昭和初期の室戸台風で、橋こそ流されなかったが、流木などが引っ掛かり周辺に大きな被害をもたらした。 |
この時に鴨川に架かる橋の幾つかが流失をしている。 |
その為に、鴨川の改修工事が始まり、それに合わせて四条大橋も架け替えられることとなり、昭和17年(1942)に現在の橋が架けられた。 |
長さ72m、幅23mの鉄筋コンクリート製の橋である。東詰に南座があり、西は京都一の繁華街「河原町」、東は「祇園の花街」で、これを結ぶ橋が「四条大橋」なのである。 |
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四条大橋の南にあるのが「南座」。江戸時代初期、幕府公認の芝居小屋が七座あったのだが、唯一、今に残るのが「南座」である。 |
江戸の初期に七座あった芝居小屋が、火事などで焼失し江戸の末期には北座と南座の二座を残すのみとなり、 |
その北座も、明治25年(1892)に、四条通に電車を通すために閉鎖され、南座のみとなってしまう。 |
その後、松竹の所有となり、昭和4年(1929)に桃山風の外観をもった鉄筋コンクリート製の5階建の建物が建てられた。 |
以来、祇園のランドマークとして400年に亘り、今日まで歌舞伎が上演されている。 |
また12月には、吉例顔見世興行の時は、役者の名前を書いた「まねき」という看板が掛かり、京の年末の風物詩となっている。 |
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