京都五山とは、京都にある臨済宗の五つの禅寺をいい、室町時代の3代将軍、足利義満の時に定められた。

「南禅寺」を別格とし、第一位に「天龍寺」、第二位に「相国寺」、第三位に「建仁寺」、第四位に「東福寺」、第五位に「萬壽寺」と定められる。


相国寺-第二位
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相国寺は、相国承天禅寺ともいい、永徳3年(1383)に、夢窓国師を開山として足利義満が建てたものである。

(夢窓国師を開山として、足利義満が創建したとされているのだが、開山の夢窓国師は、相国寺が建てられる30年前に示寂をし、

実際は、義満の禅の師である、春屋妙葩が建立の実務を担ったのだが、妙葩は始祖となるのを辞退し、

彼の師である夢窓国師を開山とするならば、次の住職を担うと言い、そのことから夢窓国師を開山とし、

2世住職が春屋妙葩となったのだが、その妙葩も相国寺の堂塔伽藍の完成を待つことなく示寂をしている。)

相国寺は足利義満の強い思い入れで、すでに京都五山が確立していたなかに割り込んだ形となり、

南禅寺は天皇勅願の寺であり別格に据えるという処置を経て、京都五山の一つになったことにより、相国寺の歴史が始るのである。

創建当初は堂塔伽藍がひしめき盛大を極めたが、応仁の乱で戦禍にあい荒廃をしたが、豊臣・徳川によって再興されたのだが、

天明の大火(天明8年:11代将軍・徳川家斉(いえなり)の時代)で法堂を残し殆どが焼失し、その後、文化4年(1807)に再建され今に至っている。

五山一位の南禅寺が多くの観光客が訪れるのに対し、御所の北すぐにあるのだが相国寺の境内には人の姿も疎らで、観光に背を向けて境内は何時もひっそりとしている。

しかしその静寂のなかに、禅宗の心を残し。室町時代の息吹を今に伝えているのである。


建仁寺-第三位
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建仁2年(1202)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家が、宋から帰朝した栄西禅師に、宋の百丈山にのっとって創らせたのが起源とされる。

京での最初の禅寺で室町時代には五山文学の中心的な地位を占めた。

度重なる火災で荒廃したが、天正年間(1573~1592)に、安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)によって再興される。現在の建物はみなその後の再建である。

建仁寺では何といっても、俵屋宗達が画いた「風神雷神」の図が有名で、他にも海北友松の水墨画の襖絵や長谷川等伯の襖絵などが残されている。