京都五山とは、京都にある臨済宗の五つの禅寺をいい、室町時代の3代将軍、足利義満の時に定められた。 |
「南禅寺」を別格とし、第一位に「天龍寺」、第二位に「相国寺」、第三位に「建仁寺」、第四位に「東福寺」、第五位に「万寿寺」と定められる。 |
南禅寺-別格 | |
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南禅寺は、鎌倉時代後期の正応4年(1291)に、大明国師(無関普門)を開山として、亀山法皇が東山にあった離宮を贈り、禅寺に改めたのが起源である。 |
日本最初の勅願の禅寺であり、京都五山・鎌倉五山の上位、別格とされ禅寺のなかで最も格式の高い寺院である。 |
創建後、度々の火災と、応仁の乱での焼失で荒廃をするのだが、江戸時代になり、慶長10年(1605)に以心崇伝が入寺し、徳川家康の信のもとに再建を計るのである。 |
南禅寺の三門は、石川五右衛門がここに上り、「絶景かな・・・絶景かな・・・」という台詞はよく知られているのだが、 |
実際はこの三門は、五右衛門が釜茹でにあった後の30年後の、寛永5年(1628)に、藤堂高虎が寄進をしたものであり、 |
五右衛門はここに上ることは出来なかったのである。 |
天龍寺-第一位 | |
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天龍寺は、もと後嵯峨上皇および亀山上皇の仙洞御所があった所に、足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために、夢窓国師を開山として、建立した寺院である。 |
天龍寺の由緒は、 |
『霊亀山(れいきざん)と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。 |
足利尊氏が、奈良県吉野の行宮で崩御された、南朝の後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応(りゃくおう)2年(1339)、夢窓疎石(むそうそせき)を開山に迎え創建した寺院で、 |
当初は暦応資聖禅寺と称されたが、尊氏の弟直義(ただよし)が見た金龍の夢に由来し、天龍資聖禅寺と改められた。 |
当寺建立のためには光嚴天皇、足利尊氏は諸国の荘園領地を寄進されたが更に御朱印船、天龍寺船と云ふ貿易船を中国に派遣して、 |
その利益を以って建立の資金とし、七堂伽藍をはじめ120の支院等が整えられ、至徳3年(1386)には、京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。 |
しかし、度重なる火災に遭い、その最後は幕末の元治元年(1864)蛤御門の変で薩摩の兵火にかかり、灰燼に帰した。 |
明治30年に至って漸く現在の伽藍を復興するに至り現在に至っている。 |
夢窓疎石の作庭と伝えられる地泉回遊式庭園は曹源池(そうげんち)を中心に |
遠景の嵐山と近景の亀山の借景を巧みに取り入れており、国の史跡及び特別名勝第一号に指定されている。 |
また、寺宝として、絹本著色(けんほんちゃくしょく)夢窓国師像など数多くの重要な文化財を蔵している。』 |
出典:【天龍寺の駒札・由緒の駒札(京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)】より |
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