相国寺の浴室である。

浴室ではあるが今でいうところのサウナに近い形態で、湯船に浸かって垢をおとすのではなく、蒸気による蒸し風呂というところであろうか。

いずれにしても浴室は身体の垢をおとすだけでなく、心の垢、浮世の垢をおとすという禅の修業を併せ持った役割を担っていたようである。

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禅宗の建物には欠かせない浴室だが、相国寺は京都五山の二位に列せられている。

京都五山とは、京の禅宗の寺格を付けたものであり、その由来は、鎌倉時代の北条政権のときに、五山の制度を取り入れ鎌倉の五つの寺を選定する。

それが鎌倉五山といわれる禅宗の寺である。

その後、鎌倉北条氏が滅び、建武の中興で後醍醐天皇が政権を握ると、京に五山を設けることになるのだが、

足利尊氏が室町幕府をつくると、京の禅宗の寺を信仰することになり、足利3代将軍・義満の時に、京都五山と鎌倉五山とに分け、南禅寺を別格とし、その両方の上に置いたのである。

京の五山とは、南禅寺を別格とし、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の五山を指すのだが、

それは京の禅寺の格付けではなく、室町幕府足利家の策略で五つを選んだに過ぎず、他に、大徳寺や妙心寺などがあるのだが、

室町幕府との関係が微妙で、足利との関係から京の五山に列せられることはなかったのである。