| 新村出の次に出会ったのが、富士谷御杖詞碑である。 |
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| 詞碑には、 | |
| 「底津磐根に宮はしらふと志り/高天原に氷木たかしるは/たゞかみつ世の宮づくりにあらず |
| いでかしこきたくみの神のたまはる斉砥はかしてむ/手斧とくせよ てをのとくせよ 中臣御杖」と刻まれ、 |
| 駒札によると、 |
| 『右は造営工事を励ます自筆の詞文で、当社神殿大修理のため、文政5年(1822年)3月7日、 |
| 仮殿遷宮が行われた当時の作詞である。(因に正遷宮は、文政11年3月16日に斉行された) |
| 御杖は富士谷成章(儒者で皆川淇園の弟 江戸中期の国学者)の長子で、明和5年(1768年)京都上京中立売通新町西入に生まれる。 |
| 父の学を継ぎ、国学者であると共に歌学者神道学者として著名である。 |
| 又琴曲を能くして「雲井曲」の作がある。文政6年11月16日没 年五十六』と記されている。 |
| 出典:【富士谷御杖詞碑の駒札】より |
| 富士谷御杖がどんな人物で、石碑に刻まれた詞文の意味もよく分からなかったのだが、調べてみると、 |
| 明和5年から文政6年(1768~1824)の江戸時代中期から後期に活躍した、国文学者で、 |
| 碑文は上御霊の神殿が大改修された時に詠んだ、言祝ぎ(こととぎ:言葉で祝うこと)だとのことであるのだが、 |
| 最後のほうは工事の督促のように思われるのだが・・・ |
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