上御霊神社の境内には、「新村出」「冨士谷御杖」「松尾芭蕉」の句碑が建っている。まず目に入ったのが、新村出の歌碑であった。

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石碑には、

「上御霊のみやしろに詣でてよめる「千早振 神のめぐみ深くして 八十ぢに満つる 幸を得にけり」昭和31年10月4日 新村出」と刻まれており、

駒札によれば、

『広辞苑の編者として著名な新村出博士(1876~1967)は、言語学のみならず南蛮学、吉利支丹研究等にも多大な業績を残され、広く我が国の学術の振興に貢献されました。

博士は大正12年より終生、当社氏子の小山中溝町に住まわれ、右の歌は満80才の誕生日に参拝の折、献詠されたものであります。

尚、博士はこの年11月に文化勲章を受章されました。』とある。

                   出典:【新村出歌碑の駒札】より

新村出(しんむらいずる)は、明治・大正・昭和の三時代を生きた、日本の言語学者で、

昭和30年(1955)に初版が発行された「広辞苑」の編者といえば誰しも(というか昭和の人間ならば)人物である。

国語辞典といえば、殆どの人が「広辞苑」という程に有名なのである。

余談だが、30年初版の広辞苑は、定価が2,000円であり、当時の大卒初任給が9,000円だったことから考えると、本一冊が給料の23%にあたるというのだから、驚きである。

それでも、知のステイタスとして、かなりの部数が売れたという。

因みに、我が家には「広辞苑」ではなく、三省堂の「広辞林」という国語辞典がある。

しかも自分で買ったのではなく、会社から子供の入学祝いとして貰ったものである。

いかに、知のステイタスが低いのだろうかと思うのである・・・