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出雲寺から寺町通に戻り、長休寺を過ぎると四つ角の辻に「御霊神社」との石碑が建っている。

この石碑を見て左に道をとると上御霊神社となるのだが、ここで左に曲がったという記憶が後に禍根を残すのだが、その話は後ほどに・・・

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上御霊神社は、その昔に訪ねているので、ここではその駒札にいわれを見てみよう。

『祭神として崇道天皇(早良親王)、吉備真備、橘逸勢(はやなり)をはじめ、十三柱の神霊を祀る。

この地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが、平安京遷都(794)に際し、

桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良時代・平安時代初期に不運のうちに亡くなった八柱の神霊が祀られたといわれ、

その後、明治天皇の御願により祭神五社が増祀され、現在に至っている。

平安時代には、天変地異や疫病流行は怨霊のたたりであるとする御霊信仰が盛んで、怨霊をなだめるための御霊会が度々行われ、疫病除けの霊社として名を広めた。

朝廷から庶民に至るまで広く信仰を集めたが、特に御所の守護神として皇室の崇敬が厚く、神輿や牛車等、皇室からの寄附品を多数所蔵している。

本殿は、享保18年(1733)に下賜された賢所御殿を復元したものといわれている。

また、境内は「御霊の社(もり)」と呼ばれ、応仁元年(1467)正月18日に畠山政長と義就(よしなり)の合戦が行われ、応仁の乱の発端となった場所としても知られている。』

                  出典:【御霊神社(上御霊神社)の駒札】より