源義経産湯井から総神社へと向かうのだが、待鳳小学校の東側の道が、旧大宮通だというのだが、今は大徳寺通という名の通りとなっている。

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義経さんが産湯を使ったという井戸跡から、どの様にして行き着いたのか、「総神社」という神社があった。

この神社の由緒を調べるに、総神社天満宮とあり、どうやら菅原道真に所縁の神社であるらしい事が分かった。

道真公が九州の大宰府に左遷される時に、この神社に巫女として仕えていた叔母に別れを告げる為に、神社に一泊をしたとの伝えが残り、この辺りを「菅宿坊天神」とも呼ばれたという。

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さらに古くは、この紫竹の地は源義朝の別邸があった所とされ、常盤がここに住み牛若を産んだことから、この辺り一帯を「常盤の森」ともいう。

総神社の祭神は、天穂日命(天照大神の子供)、八幡大神(第15代応神天皇)、天満大神(菅原道真)、源義朝の四柱を祀っている。

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何故この神社に源義朝が祀られているのかを考えるに、二つの乱をみなければならない。

父と子、兄と弟の骨肉の争いであった「保元の乱」では、義朝は、崇徳上皇方についた、父・為義、弟の頼賢、為朝と袂を分かち、

平清盛と共に後白河天皇に味方をし勝利を収めるが、後に父や弟の助命嘆願をするのだが、聞き入れられず義朝自身の手によって首を刎ねることになる。

また、その後の勲功恩賞では、平清盛よりも低く扱われたことなどにより、

3年後「平治の乱」では清盛と戦うのだが敗れて、都を落ちのび尾張国まで辿り着くのだが、

従来の家来である長田父子の裏切りにあい、風呂に浸かっているところを斬殺されてしまうのである。

父や弟を滅ぼして確立した源氏の家も、僅か3年で終わってしまうのだが、清盛の温情、はたまた常盤の色香に迷った、

または傲慢などなどで義朝の子を生かしたことが後に禍根を残し、平家の世も長くは続かなかったのである。