妹之辻子から御池通を越えて、堀川の東にある東堀川通を北に、押小路下るのジュネス二条城にあったのが、チンチン電車のモニュメントである。

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説明板には、

『堀川沿いを走るチンチン電車

「チンチン電車」の愛称で親しまれたこの車両は、明治28年(1895年)2月1日、日本で最初の市街電車として走り、

昭和36年(1961年)7月31日の堀川線(北野線)廃止とともに姿を消しました。

このモニュメントは、前面窓が付けられた最も馴染み深い型で、堀川沿いを京都駅前から北野へと走った懐かしい姿を現代に伝えようとするものです。』

                  出典:【モニュメントの説明文】より

とあり、ありし日の京都市電の姿が展示してあった。

京都の電車は、琵琶湖疏水の建設と共に、その水力を利用して発電所を併設し、電力を供給することになり、それの利用方法として、

路面電車を動かすことを考え、明治28年(1895)に、伏見から京都駅近くまでの区間に、日本最初の路面電車として、京都電気鉄道が開業された。

その後、京都市も路線を建設し、大正7年(1918)に、京都電気鉄道を買収し、京都市電が碁盤の目に沿うように路線を延長していった。

東は東大路、西は西大路、南は九条、北は北大路までの市街を網羅し、停留所の名も縦横の通りの名を組み合わせたものが付けられた。

例外として、「祇園」や「百万遍」の固有名や「金閣寺前」「銀閣寺道」などの寺社の名を付けた停留所もあった。

停留所からすぐの所は「前」、比較的距離がある所は「道」という文字が加えらた。

これは現在の京都市バスにも受け継がれ、上手く「前」と「道」とが使い別けられている。