江戸には北町と南町の両奉行所があったことはよく知られているが、京都にも東と西の二つの奉行所があった。

 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 二条城の南、押小路通の向こうにあったのが、東町奉行所である。その跡を示す石碑が、NTT壬生電話局の敷地内に建っている。京の町の治安を司る奉行所だが、奉行を頂点に、与力が二十騎、同心が五十人では、京の町を取り締れる訳もなく、治安は各町の自治組織に委ねられていたのである。

 クリックで大きくなります
京の奉行所もまた、江戸や大坂のように、東と西の奉行所が隔月に、その職を司った。東町奉行所跡に立つ駒札には、

『この現壬生NTT西日本壬生別館付近、東は神泉苑の西側より美福通にいたる一帯は、江戸時代に、東町奉行所があった所である。

この奉行所は、奉行のもとに与力、同心と呼ばれる職員をもち、京都の市政一般、すなわち行政、司法、警察全般を担当し、

さらに畿内幕府領の租税徴収や寺社領の訴訟処理にも当った幕府の役所で、西町奉行所(現中京中学校付近)と隔月交代で任についた。

しかし両奉行所それぞれ与力二十騎、同心五十人で職員の数は少なく、各町の自治組織を利用して市政に当った。

京都町奉行が初めておかれたのは、慶長5年(1600)、寛文8年(1668)からは常置の職となって幕末にいたった。』

                  出典:【此付近東町奉行所跡の駒札】より

東町奉行所は、現在の押小路通大宮西入る(地下鉄東西線「二条城前」駅から徒歩約3分)の、NTT壬生電話局の所にあり、

西町奉行所は、ここからそれほど遠くない、押小路通千本北東角(JR「二条」駅から徒歩1分)にあって、今は、京都市立中京中学校となっている。