大宮一条の東側の民家の壁に、源氏物語ゆかりの地「平安京一条大路跡」の説明板がかかる。平安京はこの一条通が洛中・洛外の境目であった。

(上京区一条通大宮東入下石橋南半町)

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一条大路は平安京北端の洛中・洛外を分ける道路で、東西に、道幅は30mであった。

源氏物語の葵では、斎宮行列に加わっている光源氏を見ようと、

六条御息所と源氏の正妻葵上とが、見物場所をめぐっての車争い(牛車を止める場所を争う)が描かれている。

                参照:【源氏物語ゆかりの地 GUIDE MAP】より

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説明板によれば、

『平安京北端の一条大路は、北極大路の名もあり、道幅は10丈(約30m、12丈説もある)。

賀茂祭の際列は一条大路を通ったので、両側には皇族・貴族の桟敷が設けられ、物見車が立ち、地べたには民衆が坐りこむなど、

その喧騒ぶりは「栄華物語」、「枕草子」や「年中行事絵巻:賀茂祭」に描写されている。

「一条大路これ祭場なり」と言われた(「小右記」)ゆえんである。

「源氏物語:葵」では、一条大路を通る斎王御禊列(ごけいれつ)に参加する光源氏を一目見ようと、

六条御息所と葵上の一行が見物場所をめぐって車争いをする有名なエピソードがある。

発掘調査で路面や溝跡が検出されている。』

       出典:【源氏物語ゆかりの地「平安京一条大路跡」の説明板】より