| 「元誓願寺通」が南北に走る「堀川通」に出ると、そこに見えてくるのが、「西陣織会館」である。 |
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| 西陣織会館は、毎日行われている「きものショー」や、西陣織の実演・手織り体験が楽しめる施設で、楽しい体験やイベントが盛り沢山行われている。 | |
| 手織り体験は、20×30cmのテーブルセンターを織ることが出来、織った作品は勿論持ち帰ることが出来るのである。(要予約:大人1,800円) |
| また小紋着物を着て、京都市内を観光出来る、きもの体験(3,600円:16時まで)や、芸舞妓・十二単などの着付けも体験出来るようになっている。 |
| 2階は、西陣織のショップで、着物やネクタイ、和装小物など西陣織の品物がならぶ。お土産に困らない穴場となっている。 |
| 3階は、資料室で衣裳・裂地など西陣の歴史を物語る資料が展示されている。 |
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| 西陣織会館の入口には「西陣」の石碑が建つが、これは京都歴史資料館の前に建つ「西陣」の石碑の複写であり、刻まれた内容も同じである。それによると、 | |
| 『京都帝国大学総長、医学博士、荒木寅三郎閣下篆額 |
| 古来朝廷には、大蔵省に織部司ありて綾錦を織り及び、染物の事を掌れり。後、其業民間に移り織工等大舎人座を組織して、高機を構へ大舎人織手師と呼ばる。 |
| 応仁の乱に東西の両軍、京都に割拠して攻戦11年に及び、其間、西軍は五辻通大宮東なる、山名宗全の邸を中心として堀川以西、一条以北の辺に駐屯せしより、 |
| 此一画を呼んで西陣といふ是時に当りて戦乱相次ぎ、京都の織工多々難を避けて和泉堺の海浜に居住せり。堺は、乱中幕府の遣明船発着の港となり貿易殷賑を極めたり。 |
| 乱平ぎし後、京都の織工帰りて西陣の地白雲村に居り、明の織法を伝へて其面目を新〆たり。天文中、大舎人座中三十一人ありしが、元亀2年其六人を内蔵寮織物司に補せられ、御寮織物司と号す。 |
| 天正中、豊臣秀吉白雲の水質不良なるを以て、新在家に移せりといふ。此前後より印度支那及び西洋諸国の織物を伝へて、 |
| 其業益精しく機業の隆威を来すと共に、織工の家西陣の故地に櫛比し西陣織物の盛名、宇内に喧伝せらるるに至れり。今茲に西陣発源の地をとして碑を建て、其来歴を明らかにす。 |
| 昭和三年十一月 文学博士三浦周行撰 山田徳多書』 |
| 出典:【西陣の石碑碑分(文中、句読点付記とカタカナは平仮名に)】より |
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| 西陣織会館では、毎日10時から16時までの間に7回に分けて「きものショー」が行われている。 | |
| 調度ここを訪ねた時は、5回目の14時15分からのショーが始まる時であった。 |
| 15分という短い時間ではあるが、西陣の心に触れたというか、それとも着物のモデルさんに見入っていたのか定かではないのだが、目の保養をさせて頂いた。 |
| ただこのショーに集る人々は、日本人は殆どいなく、聞えてくるのは中国系のものが大半であった。 |
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