「武者小路通」から一筋北にあるのが、平安京の今小路通であった「元誓願寺通」である。今回は50系統に乗り『上七軒』でバスを降りる。

(因みに101系統は『上七軒』には停まらないので注意してください。101では『千本今出川』で降りる。)

 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 上七軒でバスを降り「七本松通」を南に、一筋目が「元誓願寺通」の西の起点である。この通りは、西陣の織町とも呼ばれ、西陣織を支えてきた機業店が店を連ねている。西陣織の作業場というよりも、商社やアパレルメーカーなどの店が多く並ぶ。

 クリックで大きくなります
元誓願寺通は織物の町「西陣」を、東は新町通から、西は七本松通までの1.5Kmの通りである。

通りの名は、浄土宗西山深草派総本山「誓願寺」があった事に由来する。

誓願寺は、天智天皇6年(667)に、天皇勅願の寺院として奈良に創建されるが、

鎌倉時代の初めに、京の一条小川の地に移り、天正19年(1591)の豊臣秀吉の京都改造の際に、現在の三条寺町の地に移された。

このことから、元々「誓願寺」のあった通りを「元誓願寺通」と呼ぶようになったという。

余談だが、三条寺町(現在の中京区新京極通三条下ル桜之町)に移った当初は、6,500坪という広大な寺域を有し、塔頭18寺を数えたという。

しかし、明治維新後に都が東に移り寂れる一方の京の町を活気づけようと、時の京都府参事、槇村正直は誓願寺境内の芝居小屋や見世物小屋に目を付け、

ここを一大歓楽街にしようと考え、三条から四條にと道を設け、誓願寺の寺地4,800坪を没収し、ここに京都でも屈指の歓楽街を造ったのである。

これが今の新京極通であり、誓願寺がこんな所にある理由でもある。