官休庵から西に、通りが小川通にあたると500mと短い武者小路通が終わる。小川通を南に下ると、平安京の一条大路にあたる「一条通」である。

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一条通は、東は烏丸通から西は西大路通を越えて、右京区花園までの3.2Kmの通りである。

平安京では一条通が洛中と洛外の境であったのだが、近世には一条大路を越えて北に町が広がり、

今では京都御苑の北側にある今出川通が一条大路に取って代わり、一条通は一方通行の狭い通りとなってしまい、

源氏物語に出てくるような、牛車が通ったような通りとは思えない狭い通りとなっている。

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一条通では堀川に架かる「戻り橋」が有名で、ちかくにある清明神社とあわせ、休日にもなると、この付近は若い子達でいっぱいとなる。

一条戻り橋の由来は、延喜18年(918)に文章博士の三善清行が亡くなった時に、その子浄蔵が急ぎかけ戻りこの橋で取り縋って泣いたところ、

清行が一時生き返り親子の対面が出来たところから、戻り橋の名が付いたといい、一条通にあることからこの橋を「一条戻り橋」という。

太平洋戦争の時にはこの橋を渡って無事戻って来るようにとの願いを込めて渡り、婚礼では絶対に渡らない橋である。

また橋の下には、安倍清明が式神を隠したといい、もう一つ、この橋にはかの渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたとの言い伝えも残っている。