室町通も、もう少しで今出川通となるのだが、その一つ手前の通りが武者小路通で、室町通武者小路角にあるのが、水の神として信仰されてきた「福長神社」が鎮座する。

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福長神社の名は、祭神が福井神(さくいのかみ)と綱長井神であることから、福長神社と呼ばれ、また稲荷神を合祀するところから「福長稲荷」とも呼ばれている。

神社の祀られる2神は、平安京宮中の井戸を守る神であったと言われている。

現在の地には、天正年間の豊臣秀吉の聚楽第造営の頃ともいわれ、天明8年(1788)の大火により焼失してからは、小さな祠の社殿となっているが、水の神として崇められ深く信仰されている。

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駒札によれば、

『本社は福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つなながいのかみ)、稲荷神を祭神として祀る。

社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから「福長稲荷」とも呼ばれた。

福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院(現在の大宮竹屋町辺)に祀られたいた延喜式内社、

宮中神の座摩巫祭神(いがずりのみかんなぎのまつるかみ)五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神(はひきのかみ)、阿須波神)のうちの二座である。

現在の地に遷された経緯については、社伝によると天正年間、豊臣秀吉の聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、

天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中洛外図屏風(狩野永徳筆)には、すでに現在地に福長神社が描かれている。

天明の大火(1788)で焼失した後は小さな祠となったが、明治時代以降も水の神(y式内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。』

                   出典:【福長神社の駒札】より