皆川淇園弘道館址から室町通に戻り、更に北へ歩き中立売通を越えると右側に「富岡鉄斎邸跡」の石碑が建つ。

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室町通から烏丸通に面する京都御苑の中立売御門が見え、室町通と烏丸通とは一筋しか違わない通りだというじょとが分かる。

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富岡鉄斎は、明治・大正に活躍した文人画家で儒学者でもあった。国学や儒仏の学にも通じ、南画にも秀でたものがあった。

天保7年(1837)二条衣棚の法衣商を営む家の次男に生まれ、少年期に大田垣蓮月尼に養われ、人格形成に大きな影響を受けたという。

幕末には勤王の志士とも交流があったとされるが、明治になり帝国美術会員となり、一時代を画した画家となる。

京の路地(ろうじ)をこよなく愛し、大正13年(1924)に、90才で亡くなるまでの四十有余年をこの地で暮らしている。

現在は、府議会議員の宿舎として使用されている。

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駒札によれば、

『富岡鉄斎は近代日本の南画を生んだ巨匠として知られる画家である。

天保7年(1836)、三条衣棚に法衣商を営む維叙の次男として生まれ石田梅厳の石門心学を重んずる家風の中に育ち、

儒教並びに仏教の学に親しんだ高士的学者をもって任じていたが、当時の一大風潮となっていた南画を学ぶにおよんで、

天性の画才を発揮し、比類まれな渾厚老蒼の作品を精力的に産出した。

当処はこの鉄斎が、明治15年(1924)12月31日に没するまで、四十有余年の朝夕を過し、鉄斎芸術の全貌があらわになったゆかりの深い旧跡である。

その晩年に建てられた画室は無量寿佛堂と名づけられて現存している。』

                  出典:【富岡鉄斎邸跡の駒札】より