室町通を更に北へ上長者町通にあたり、その通りを西に少し行くと「皆川淇園弘道館址」の石碑が建つ。

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クリックで大きくなります 皆川淇園(みながわ きえん)は江戸時代中期の儒者で、享保19年(1735)に京都の医者の家に生れる。「名」と「物」の関係を問い「開物論」なる独自の論を説き、その内容は難解で一般人にはとうてい理解しえないものだったようである。

晩年に、京の自邸に私塾「弘道館」を開き、門人は三千人を数えたという。

儒学のほかにも、詩文や書画にも優れ、山水画は円山応挙にも劣らないと評価をされた。

ここに「弘道館跡」の石碑が立つのだが、実は弘道館はここではなく、明和5年(1768)に書かれた「平安人物志」によれば、

「中立売室町西入町」に淇園の邸宅があったとあり、弘道館はその西隣に建てられたと言い、ここより一つ北の通りである中立売通にあったらしいのである。