平安女学院から室町通を北に、護王神社を過ぎて室町通中長者町下る東側にあるのが「此付近清和院并土御門内裏址」の石碑。

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クリックで大きくなります 土御門内裏は、現在の京都ガーデンパレスの辺りにあったとされ、室町通に建つこの石碑と、烏丸通に建つ「土御門内裏跡」の石碑があり、この辺り一帯が土御門邸にあった所である。

土御門内裏は、鳥羽(1103~1156)・崇徳(1119~1164)・近衛(1139~1155)三代の天皇が利用をしたが、

保元元年(1156)に起こった保元の乱

(後白河天皇と崇徳上皇方に分かれ、平氏と源氏の親と子が、兄と弟が血肉をかけて戦った乱である。平清盛率いる平氏が勝利をし、やがて武士の時代へと移り変わるエポックメイキングの戦いであった。)

以降には再建されることはなく、土御門邸は廃絶するのである。

またこの場所が、平安時代に清和院があったというのだが、清和院は京の所々にあって、ここに清和院があったかどうか不詳である。

清和天皇は武家の時代を作り出した清和源氏の始祖であるのだが、その実は、宮中にて26人もの女官に手をつけ、

その子孫が臣籍降下をし、なかでも第六皇子貞純親王の子経基王の子孫で、源頼朝・足利尊氏など、源氏の多くがこの系統であり、

天皇自身は子を産ませただけの人物なのだが、今に武家、清和源氏の始祖といわれているのは、いかにも多くの子を設けた天皇らしいところである。