| 豊楽院のあった場所も、源氏物語ゆかりの地のひとつで、史跡豊楽院跡の一角に説明板が建てられている。 |
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| 豊楽院は天皇の饗応の御殿であり、源氏物語でも光源氏が、白馬節会を行ったとあり、それがここを源氏物語ゆかりの地とした由縁であろうか。 | |
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| 説明板によると、 | |
| 『朝堂院の西側にあったのが、豊楽院で延暦19年(800)以後に完成した。 |
| 規模は東西171m、南北402mあり、この正殿が豊楽殿である。東西に楼閣を備え、その南方には回廊でつながる長大な四つの堂が建っていた。 |
| 豊楽殿のは天皇が御して国家的な饗宴が行われ、特に正月元旦、大極殿での朝賀の後の饗宴は盛大であった。 |
| しかし、9世紀中頃以降は豊楽殿から紫宸殿へ儀式の場が移り、11世紀に入ると次第に荒廃し、康平6年(1063)の焼失後は再建されなかった。 |
| 正月7日にこの豊楽殿では、前庭に白馬(あおうま)を牽(ひ)き出して天皇が御覧になり、宴を催す白馬節会がある。 |
| 「源氏物語」「少女」で、源氏が二条院で白馬節会を行っているが、実際に当時の貴族邸で催されていたかは不明である。 |
| 1988年に豊楽殿の北縁西側が発掘調査され、緑釉瓦で縁取りされた建物は、 |
| 東西9間(約39m)、南北4間(約16m)と判明し、検出遺構は史跡指定を受け保存されている。 |
| また2007年には豊楽殿北廊跡とその北にあった清暑堂跡南縁が検出され、幅5.2mの西側階段を構成する凝灰岩の一部が見つかっている。 |
| 調査の結果、北廊は清暑堂(東西基壇幅35m)造営と一連に造作sれ、当初は単廊で後に拡幅されたことが判明している。』 |
| 出典:【源氏物語ゆかりの地「平安宮跡豊楽院跡(豊楽殿跡)」の説明板】より |
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