大極殿跡から千本通を北に下立売通を東に入り、下立売通智恵光院西入るにある「平安宮内裏跡」を訪ねるべく、

以前に見た「内郭回廊跡」右に、食事処でん吉の店前に掛る「蔵人町町屋跡」を左に、「承明門跡」の石碑を過ぎ、小田政の酒屋に掛る「紫宸殿跡」を見て、

その前にあったのが、その時見逃した「平安宮内裏跡」である。

こんな判りやすい所にある説明板が、その時に何故見付けられなかったのか不思議である。

(上京区下立売通智恵光院西入る下丸屋町(上京歴史探訪館前))

 クリックで大きくなります
内裏は、794年の平安遷都で最初に造営された天皇や后たちの居住空間で、「源氏物語」の中心舞台であった。

村上天皇の天徳4年(960)に初めて焼亡、その後何回も焼失再建を繰り返し、安貞元年(1227)の焼失後は再建されなかった。

               出典:【源氏物語ゆかりの地 GUIDE MAP】より

 クリックで大きくなります
説明板によれば、

『延暦13年(794)の平安京遷都とともに造営された内裏は、天皇や后たちの居住空間で平安宮(大内裏)の中心的な施設。

その構造は、陽明文庫蔵の「内裏図」などのよると、外郭築地と内郭回廊の二重構造で厳重に区画され、

内部が東西57丈(約171m)、南北72丈(約216m)、外郭築地は東西73丈(約219m)、南北100丈(約300m)の規模である。

内郭の南辺には紫宸殿・仁寿殿(じじゅうでん)・承香殿・清涼殿などハレの場があり、

北辺には弘徽殿(こきでん)・飛香舎(藤壺)・淑景舎(しげいしゃ:桐壺)といった七殿五舎からなる後宮が存在し、

それぞれの建物は回廊や透渡廊で繋がり、雅な宮廷生活が繰り広げられ、「源氏物語」の中心舞台であった。

初焼亡は村上天皇の天徳4年(960)であるが、里内裏が用いられたのは16年後の二度目の火事の時であり、歴史から姿を消すのは安貞元年(1227)の焼亡である。

付近の発掘調査で確認されている主な遺構は、西側内郭回廊基壇西・東面跡と雨落溝跡、承明門跡、外郭西面築地跡、蔵人町屋東・南雨落溝跡、蘭林坊の溝跡などがあり、

古絵図や発掘調査により、内裏内の主要な建物の位置は、ほぼ地形図上に落すことが可能となっている。

内裏跡では、内郭回廊跡のほか主要な殿舎跡に説明板や石柱が設けられている。』

         出典:【源氏物語ゆかりの地「平安宮内裏跡」の説明板】より