廬山寺の門を入り、本堂から裏手に回ると「慶光天皇廬山寺陵」がある。

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この陵は、慶光(きょうこう)天皇を祀るのだが、実はこの天皇は歴代天皇の継承順位がないのである。

この天皇の子供が、第119代の光格天皇で、その前は慶光天皇ではなく、第118代の後桃園天皇である。

子がなかった後桃園天皇が急逝すると、閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子・師仁親王(光格天皇)が即位することになる。

事情は色々あったのだろうが、皇位継承はややこしい。

119代以降、第120代の仁孝天皇、第121代の孝明天皇、そして第122代の明治天皇へと続く江戸時代後期の入口にあった人物であった。

慶光天皇は何故歴代天皇に名を連ねてないかというと、天皇との称号は付いているのだが、これは追尊天皇といい、

天皇になれなかった親王に死後送られる称号であり、整然には天皇の位には就けなかった為に、歴代天皇の系図にも、その名はないのである。

また、この陵には閑院宮歴代当主とその妻子、

慶光天皇妃・成子内親王/東山天皇後宮・新崇賢門院藤原賀子/東山天皇皇子・直仁親王/東山天皇皇子直仁親王妃・脩子

東山天皇皇曾孫・美仁親王/東山天皇皇曾孫美仁親王妃・因子/東山天皇皇玄孫・孝仁親王/東山天皇皇玄孫孝仁親王妃・吉子

東山天皇五世皇孫・致宮/東山天皇五世皇孫・愛仁親王/光格天皇皇子・俊宮/光格天皇皇子・猗宮/光格天皇皇女・多祉宮

/光格天皇皇女・治宮/仁孝天皇皇子・胤宮の15を数える墓が集まっている。