また、梨木神社のなかには、京の三名水の一つ「染井」がある。 |
神社の参道を歩き、梨木神社の境内に入る少し手前に「染井」がある。 |
京都三名水の一つで唯一現存する井戸であり、今もこの水を汲む人は絶えない。 |
駒札によると、 |
『当社境内は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(あきらけいこ:清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の址で、 |
この良房の屋敷を染殿と称し、宮中御用の染所として染井の水が用いられたと言われている。 |
京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)の内現存する唯一の名水として知られる。』 |
出典:【「染井」の駒札】より |
他に京都三名水は、京都御苑のなかの北西にある、宮内庁京都事務所の建物がある辺りに位置しており、駒札によると、 |
『昔この井戸のそばに縣宮という社があり、地方官吏として出世を願う者は、井戸の水で身を清めて祈願し、宮中にのぼったといいます。 |
この付近は江戸時代まで五摂家の一つ一條家の屋敷地内となっており、井戸水は、明治天皇の皇后となった一條美子(はるこ)のうぶ湯に用いられたともいわれています。 |
大和物語では病気を治す水とも紹介され、井戸と辺りの山吹の風情は、後鳥羽院などの歌にも詠まれました。』 |
出典:【縣井の駒札】より |
「蛙鳴く 県の井戸に 春暮れて 咲くやしぬらん 山吹の花」 後鳥羽院 |
そしてもう一つは、堀川通五条西入ルにある「京都東急ホテル」の横、堀川通に面した植込みの中にあったのが「左女牛井」。 |
今その跡には石碑のみが建つのだが、駒札によると、 |
『京の名水として平安時代より知られ、源氏の邸いわゆる六条堀川館の中にとり入れられていた。 |
室町時代には、南都の僧村田珠光がこの畔に住み茶道を興し足利義政も来遊したという。 |
江戸初期元和2年5月織田有楽斎はこれを改修した。内径二尺四寸の丸井戸であった。 |
その後、天明大火で埋もれたが、安政2年、薮内家六世竹陰によって補修され、その碑が七世竹猗によって建てられていたが、円井戸とともに第二次世界大戦最末期民家の強制疎開とともに撤去された。 |
昭和44年醒泉小学校百周年記念事業の一つとして、ここに碑をたて名水を偲ぶよすがとした。』 |
出典:【左女牛井跡の駒札】より |
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