清和院御門のすぐ北に、三条実萬と実美の父子を祀る「梨木神社」がある。

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梨木神社といえば昨今、その境内の土地を賃貸ししてマンションを建て、その借地料で神社の維持管理をしようという計画が進行している。

境内8,100㎡のうち、清和院御門からの参道の南側2,100㎡を下京のマンション業者に、60年間の期限付で貸すのだという。

地上3階、地下1階で35室の分譲マンションを建てるという。

この地域は15mまでの高さなら建設は可能なのだが、御所にあまりにも近いことから、梨木神社の本庁がこれに反対すると、梨木神社は同庁を脱会」し、建設を推進するのである。

マンションは2015年に完成の予定であるが、立地条件からいえば、すぐに売れるだろうことは明らかである。

しかし60年後には、借地権の契約が切れ、その後はどうするのであろうかと思うと、今から60年後が楽しみなのだが、ただそれまで生きているかどうかであるのだが・・・

(ただ借地権が発生をし、60年後に再契約を拒否しても居住権は残り、マンションに住む住民はそのまま住み続けることになるであろう。)

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国の史蹟に指定されていない神社は、国からの補助金が出ず、神社の維持管理が大変なのである。

その一つの事例として、千本通にあった豊臣秀吉に関わる「出世稲荷神社」もまた寺社の維持管理が出来なくなり、千本通の社地を売却し大原に社殿を移したのである。

そのために、この前のバス停は「出世稲荷神社前」から「千本旧二条」に変更されたのである。

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梨木神社はその駒札によると、

『当社は、明治18年(1885)に創建された旧別格官幣社で、明治維新の功労者三條実萬(さねつむ)公・実美(さねとみ)公父子を祀り、三條家の旧邸が、梨木町にあったことにちなんで名付けられた。

実萬公は、文化9年(1812)以来47年間、光格(こうかく)、仁孝(じんこう)、孝明(こうめい)の三代の天皇に仕え、皇室の中興に尽くしたため、

幕府と対立し、その圧迫により一乗寺に幽居したが、翌年の安政6年(1859)に逝去し、「忠成公」の諡(おくりな)号を賜った。

実美公は、幕末期に尊皇攘夷運動の先頭に立ち、明治維新後は太政大臣に任ぜられたが、明治24年(1891)に逝去し、正一位を贈られ、大正4年(1915)に父を祀る当社に合祀された。

旧茶室は、京都御所春興殿(賢所(かしこどころ))の神饌殿(しんせんでん)を改装したもので、境内手水舎の井戸「染井(そめのい)」の水は京の三名水の一つとして有名である。

また、当社は萩の名所として知られ、毎年9月の中旬から下旬に催される「萩まつり」の頃は、多くの参詣者でにぎわう。』

                       出典:【梨木神社の駒札】より