清荒神からすぐに鴨川となる。荒神口通の鴨川に架かる橋が荒神橋である。 |
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荒神橋は安政2年(1855)に、御所の火災により孝明天皇が鴨川を渡るために架けられたといわれる。 |
その後、明治元年(1868)に正式に橋が架けられて「勤王橋」とも「御幸橋」とも呼ばれた。 |
大正3年(1914)に現在の橋が架けられ、鴨川に架かる橋では七条大橋(大正2年(1913)に開通)についで古い橋である。 |
またこの橋では、昭和28年(1953)11月に荒神橋事件が起こっている。 |
これは立命館大学に「わだつみ像」(戦没学生を記念するために作成)が到着し、それを歓迎するデモが京都市中で行われた。 |
京都大学の学生100名あまりが立命館大学(当時は鴨川西側の広小路にあった)での集会に参加するために、 |
荒神橋に差し掛かると京都市警は、このデモ隊の渡橋を阻止したために、橋の上で揉み合いとなり、 |
橋の南側欄干(この当時は木製)が倒れ、10数名の学生が鴨川に落下し重軽傷者を出した事件である。 |
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荒神橋から上流に見えるのが鴨川に幾つかある飛び石。 |
飛び石とは、橋の変わりに川の中に飛び飛びに石を置いて、それを飛んでいきながら対岸へと渡るものである。 |
ここの飛び石は、その形に特徴があり、石の所々が亀の形をした石がある。 |
若い頃は飛び石を軽々と飛んで対岸に渡れたものだが、今はそんなことをするとバランスを崩して川の中へと落下しかねない。 |
今は荒神橋を通って対岸に渡るのである。 |
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