法成寺址から荒神口通を東に進むと、京の七口のひとつ荒神口の由来となった、清荒神護浄院がある。

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護浄院は、三宝荒神を本尊とする天台宗の寺院である。

奈良時代の宝亀2年(771)に、光仁天皇の皇子である開成親王が荒神を作り、堂宇を建て祀ったのが始まりとされる。

洛陽三十三ケ所観音霊場の第三番として、准胝観音(じゅんていかんのん)を祀る。

准胝観音は、あらゆる仏の母だとされ、仏母准胝尊とも言われ人のなやみを救ってくれる観音さまである。

清浄と母性の象徴として、子授けの観音さまとして祈られている。

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その駒札によれば、

『常施無畏寺と号し、天台宗の寺で通称清荒神という。

本尊の清三宝大荒神は1200余年前、光仁天皇の皇子である開成親王の作といわれ、

摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳(じょうげん)が醒ヶ井高辻の地に勧請し、初めて清荒神といわれた。

その後、慶長5年(1600)ここに移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合わせ祀って長日の御祈願を行い、元禄10年(1697)に護浄院の院号を賜り今日に至っている。

また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。

尊天堂内に安置される福徳恵美須神は元禁裏に奉安せられていたが、明示維新に際しここに移され、

京都七福神の一に数えられ、世に尊信が篤い。なお、荒神町の地名はここより起こったものという。』

                      出典:【護浄院の駒札】より

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通称を清荒神といい本尊の荒神さんは、「火の用心」「災難除け」の神として崇められている。

社殿に掛る「清荒神」の扁額に京都の人は「荒神さん」と呼び、火の用心の護符として信仰されている。