京都御苑には9つの門と5つの口がある。寺町通に面しては、北から「石薬師御門」「清和院御門」と最も南に位置する「寺町御門」とがある。 |
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京都御苑は庭内にある京都御所と大宮御所・仙洞御所を除いた、63haが国民公園として解放されている。 |
東は「寺町通」から西は「烏丸通」、北は「今出川通」から南は「丸太町通」まで、東西700m、南北1300mの長方形をなし、周囲3.7Kmに築地塀をめぐらし、東西南北に9つの門を開いている。 |
都が東京に移るまでは、ここに200以上の公家屋敷が並んでいたのだが、東京遷都に伴って、公家達も東京に移り住むこととなり、京都御苑は荒れるにまかせたという。 |
これを見兼ねた明治天皇が、「皇室宛地として整備せよ」との命を発し、現在の御苑の礎が築かれたのである。 |
以来、京都市民の憩いの場として親しまれているのである。 |
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寺町御門は、寺町通に面した御門のうちで最も南に位置し、ここを入ると鷹司邸跡に行き当たる。 |
寺町御門は取り立てて書くこともないのだが、文久3年(1863)8月に起こった禁門の変で、 |
長州軍が「中立売御門」「蛤御門」「下立売御門」から攻撃をしかけ、長州の来島又兵衛が蛤御門を占拠するなどしたのだが、 |
西郷率いる薩摩軍が来島隊に攻撃を加えるとひとたまりもなく崩れ、来島又兵衛が戦死すると長州軍は総崩れとなり、 |
この寺町御門から退却をするのである。そんな門がこの寺町御門なのである。 |
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