宇治茶の里を巡るぶらり歩きも、再びJR宇治の駅に戻ってきたのだが、この駅を中心として、かつて宇治七茗園といわれる茶畑が点在をしていたのである。

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宇治七茗園とは、「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と和歌に詠まれたように、

室町三代将軍・足利義満によって庇護された茶園である。

現存するのは、堀井七茗園の「奥の山園」のみであるのだが、JR宇治駅の北に「川下園」と「祝園」が、

南に「宇文字園」と「森園」があったのだが、現在は都市化の波によって、その面影を探すことは出来なくなっている。

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この4ケ所以外には、宇治市役所前の「琵琶園」と、縣神社から南の高台にある、唯一今に残る「奥の山園」であり、

七茗園の六つまでが宇治川の左岸にあるのだが、

ただ一つ宇治川の右岸の宇治神社や朝日窯がある辺りにあったのが「朝日園」である。

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宇治茶を世界遺産に登録しようという企てがあるらしい。

山城一帯の地域で、宇治茶に係わりのある、宇治市・宇治田原町・城陽市・京田辺市・和束町・木津川市・南山城村が一体となって、

宇治茶の歴史と文化を後世に伝えようと目論んでいるのだが、全体を通しての取り組みはこれからであり、その道のりは遠いようである。