先日、京都新聞朝刊(2014年3月15日)の梵語に、山宣(山本宣旨:京都生まれの政治家)についてのことが書かれていたので、それを抜粋してみる。 |
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『堂々と、だが何とも温かみのある石碑に、春の雪が降る。 |
これは宇治にある山宣の墓碑のことではなく、長野県上田市・別所温泉の一角にある山宣の碑のことをいう。 |
この地は、昭和恐慌の渦中、自由思想と農民組織の小作料値上げ反対運動を展開した、先進的な土地柄であった。 |
昭和元年(1926)3月1日に、前年の第一回普通選挙で当選した山宣をこの地に向え、上田で千人の聴衆を前に講演をする。 |
山宣は、3.15事件(共産主義や非合法者に対しての弾圧)での警察の拷問や不法検束を糾弾し、治安維持法に「戦争への道を開く」と反対をした人物である。 |
「山宣独り孤塁を守る。だが私は淋しくない」の言葉を残したのは、上田での講演3日後のことである。その翌日、東京で暗殺された。 |
治安維持法は、時の政府に都合よく改正をされ、徐々に民主主義の首を絞めてゆく。 |
39歳の若すぎる死に、上田の農民が敬愛を込めて碑を建てるが、破壊命令がでるも地元の旅館主人が庭に埋め、38年間隠し通すのである。 |
70年代に掘り返され今に至る。その死から85年。特定秘密保護法を成立させた政権は、集団的自衛権の行使容認に傾く。 |
遠い友情を伝える碑の前で、山宣なら今何と言う-と問うてみる。 |
出典:【京都新聞3月15日朝刊の梵語】より |
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