宇治十帖は「橋姫」から始まり、「夢の浮橋」で終わるのだが、ここからは、その二つの古蹟をを訪ねてみよう。

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「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」 と宇治十帖の幕があく、巻45帖(宇治十帖では第一帖)の「橋姫」。

ここ橋姫神社は「橋姫の古蹟」でもある。駒札には、

『「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」は書き始められる。

光源氏の異母弟の八宮は、北方(きたのかた)亡き後、宇治の地で、失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖として過ごしておられた。

世の無常を感じていた薫君は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日がながれた。

晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、

橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる

と詠んで大君(おおいきみ)に贈った。出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。

その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。』

              出典:【源氏物語宇治十帖(一)橋姫の駒札】より

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橋姫神社の由来は、

『古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。

瀬織津比咩(せおりつひめ)を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。

境内には橋姫神社とならんで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。

交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。

また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は、「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。』

                  出典:【宇治市の史跡紹介「橋姫神社」】より


宇治十帖については、「遊歩人の路地裏歩き」にも綴っているので、時間があれば訪ねてみてください。

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『源氏物語の最終章「宇治十帖」』