奥の山園から宇治の町に下りてくると、あがた通に面した所に「県神社」がみえてくる。

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木花開耶姫を祭神に、もとは平等院の鎮守社であった。

また毎年6月5日の深夜から翌暁にかけて、燈火を消した暗闇の中で、梵天神輿の渡御があり「暗闇の奇祭」として各地から参拝に人々で雑踏する。

県神社の『県とは、大和政権が西日本の要地に設けた地域組織で、特に畿内にあった県は政治と祭祀に重要な役割を占めていたと云われており、

当時の宇治が属した栗隈県(くりくまあがた)に社名の起源をもとめることができます。

祭神は木花開耶姫命といわれ、永承7年(1052)に藤原頼通が平等院を建立した時に、その鎮守としたとも伝えられています。

毎年6月5日から6日の未明にかけて行われる県まつりは、暗夜の奇祭といわれ、多くの人出でにぎわっています。』

                   出典:【宇治市の史跡紹介「県神社」】より

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神社の由来を説明板にみると、

『当社は、天孫天津彦彦火瓊々杵尊(あまつきこ ひこばのににぎ のみこと)の妃、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を奉祀する。

「あがた」の名は上古の「県(あがた)」の守護神であったことを示し、神代以来当地の自主神であった。

後冷泉天皇永承7年(1052)時の関白藤原頼通の平等院建立にあたり、同院総鎮守となり、藤原氏の繁栄を祈請したのである。

明治維新までは三井寺円満院(大津市)の管理下にあったが、これは平等院が三井門主の開眼にかかり天台宗に属していたためである。

維新後は神仏分離令によってその管理からはなれた。

当社の大祭、6月5日から6日の未明にかけて行われる暗夜の奇祭「あがた祭」は近府県はもとより広く全国から参拝者が集りたいそうにぎわう。』

                       出典:【県神社の説明板】より