四条宮寛子が建立した金色院に所縁の神社として、今に残るのが「白山神社」である。

創建は古く、延暦9年(790)になるというが、寛子が金色院を建てた44年後の久安2年(1146)に金色院の鎮守社として開かれている。

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鳥居をくぐり白川に架かる白山橋を渡ると、その先に・・・

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何段あるのか、本殿へと続く石段があり、その上には鎌倉時代末期に建てられたという拝殿が見える。

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宇治市の史跡紹介によれば、

『白山神社は延暦9年(790)に疱瘡が流行した時に、その治癒を願って建てられたと伝えられていますが、

やがて藤原頼通の娘で後冷泉天皇の皇后寛子の建立といわれる金色院の鎮守社となりました。

祭神は伊邪那美命で、平安時代後期の木造坐像を祀っています。

康和4年(1102)に建立された金色院は、七間四面の本堂のほか、多くの堂塔や坊舎を誇り、堂塔には金がちりばめられていたと伝えられています。

現在では白山神社と惣門、寛子の供養塔といわれる九重石塔が残るのみですが、同じ白川の地蔵院に保存されている数々の宝物や文化財から、往時を偲ぶことができます。』

         出典:【宇治市の史跡紹介「白山神社と金色院」】より

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白山神社の由緒を駒札にみると、

『当地白川は、昔藤原頼通が山荘を設けたところといわれ、頼通の女四条宮寛子はここに地を相して、康和4年(1102)金色院を造営した。

当社は久安2年(1146)に創建された金色院の鎮守社である。本殿は一間社流造桧皮葺で、堂内には伊邪那美尊坐像(重文)を安置している。

拝殿(重文鎌倉)は建治3年(1277)に建立されたもので、宇治離宮の遺構といわれ、方三間単層四注造茅葺で、

鎌倉中期の様式を示しており、腰高障子をたて住宅風の古建築である。社宝として十一面観音像(重文)がある。』

                     出典:【白山神社の駒札】より

また宇治と歴史街道についてのこともあり、

『古代史から近代にいたる近畿地方の貴重な歴史観光資源を紹介していくため歴史街道計画では図のようなルートを設定しました。

このルートの中で宇治市は、かな文字に代表される国風文化の成立、貴族社会から武家社会への移行、

また、そのころ生まれた雅、禅の文化などを表わす平安~室町時代ゾーンにあたります。

平安時代に建立された平等院鳳凰堂や、この地を舞台に描かれた源氏物語「宇治十帖」が、当時の王朝文化の華麗さを偲ばせる都市です。』

                   出典:【歴史街道と宇治市について】より