白川金色院は、四条宮寛子が康和4年(1102)に創建したと伝えられるが、今に残るものは、鎮守社の白山神社と惣門、そしてこの石塔のみである。

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白川金色院跡の石碑から少し奥に入った所に残る、九重石塔と五輪塔群。鎌倉時代後期に寛子の供養塔として建立されたものと言われている。

宇治市の史跡紹介によれば、

『九重石塔は、鎌倉時代に建立され、藤原頼通の娘・四条宮寛子(1036~1127)の供養塔と伝えられています。

この石塔は、高さ4メートルほどの花崗岩製で、基礎の背が低く、横長い格狭間(こうざま)が入っている女性的な感じの層塔です。

寛子がここ白川の地に金色院を建立して後半生の50年余を宇治で過ごし、大きな足跡を残したことが偲ばれます。』

                  出典:【宇治市の史跡紹介「九重石塔」】より

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また石塔の側には、宇治市名木百選の一つで、樹齢150年を数える「さざんか」の木がある。高さ7.4m、幹周1.13mの大木である。

その周りも樹齢200~250年という、椎や椿、楓や樅などの木々が繁り、鬱蒼とした深森となっている。