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地蔵院を出、坂を登ると左に金色院の惣門が見えてくる。

金色院は藤原頼通の娘で後冷泉天皇の皇后であった藤原寛子(かんし)が平等院の奥の院として康和4年(1102)に建立し、

後に廃絶となり、その建物は今は殆ど残ってはいないのだが、僅かに惣門と白山神社などが残るのみである。

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惣門は金色院への入口であり、この門をくぐると金色院へと続く参道となる。

現在、金色院の建物は残ってはいないのだが、創建当時は藤原氏の権力と共に、きらびやかな堂塔伽藍が立ち並んでいたであろうことは、創造に難くない。

しかし藤原氏の勢力が衰えると共に金色院も衰退し、幾多の変遷を経て明治になっての廃仏稀釈により、

それまで残っていた蔵ノ坊、中ノ坊や福泉坊が取り壊されるのだが、かろうじて惣門と白山神社が今に残されている。

明治の廃仏稀釈は今にして思えば、幾多の貴重な建物を壊してしまったのである。誰がこんな馬鹿な法令をだしたのであろうか。

この惣門をくぐると金色院へと続いてゆくのだが・・・。