下居神社から道を左にとり、太陽ケ丘の方に向かうと、宇治文化センターが建つ高台がみえる。

 クリックで大きくなります
その一角に宇治市歴史資料館がある。宇治で発掘された資料や、民俗資料などが展示をされている。

常設展示ではなく企画展示を行っていて、展示の切り替え時には休館となることがあり、訪ねた当日は休館日であった。

これが、この後大変なことになるのだが・・・。

 クリックで大きくなります
歴史資料館は休館日だったが、建物に入るとこんな石碑があった。これは、宇治橋断碑の複製で、現物は宇治橋からすぐにある、方生印の境内に建っている。

説明文によると、

『道登架橋を伝える石碑。寛政3年(1791)に放生院境内で発見された。上部約三分の一のみで折れていたため「断碑」と呼ばれる。

同5年に「帝王編年紀」によって下部の文が補われて再建された。その経緯は、背面に刻される。現物は放生院境内に建つ。』

                   出典:【宇治橋断碑(複製)の説明文】より

とあり、碑に刻まれた銘文には、

『浼浼たる横流、其の疾きこと箭の如し、修修たる征人、騎を停めて市を成す、

重深に赴かんと欲すれば、人馬命を亡くす、古従り今に至る、航葦を知る莫し

世に釈子有り、名を道登と曰う、山尻恵満之家自り出たり、大化二年丙午の歳、此の橋を構立し、人畜を済渡す

即ち微善に因りて、爰に大願を発し、此の橋に結因し、彼岸に成果す、

法界の衆生、普く此の願いを同じくし、夢裏空中に、其の苦縁を導かんことを』

                      出典:【宇治橋断碑銘文】より